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2009年4月29日 (水)

教師の体罰

熊本の体罰賠償訴訟の最高裁判決がありました。

結果は原告(児童)側の逆転敗訴。

この事件では「休み時間に女子児童をけった男児らを注意。男児が教員の尻もけったため、胸元をつかんで壁に押しつけ、もう、すんなよと怒った」ことが体罰に当たるかどうかが争われていました。

一、二審は体罰を認定しましたが、最高裁は「教育的範囲を逸脱しておらず、体罰に当たらない」として、一、二審を破棄。

原告の逆転敗訴となったわけです。

報道されている範囲でしか状況を把握していませんが、その範囲で言えば妥当なのかなあとも思います。

この事例では、その後児童がPTSDを発症したということで、損害賠償を請求していたわけですが、それほどの体罰であったのか、疑問が残るところでもありました。

その事件以前に、その児童に対してどんな教育がなされていたかということを無視すればということですが。

今回の判決が出たことで、「この程度までは体罰ではないんだ」という教師の判断により、体罰が増えることになりはしないかと大変心配です。

学校教育法11条は「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは文科相の定めるところにより、児童らに懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない」と規定しています。

基本的には体罰は、認められないわけで、どこまでが体罰でなく、どこからが体罰かという問題です。

孫の小学校では、教師の怒鳴り声が絶えません。

私が子どもを通わせていたころには、そんなことってあったかなあと今の状況を大変憂えています。

先生方からすると、「落ち着きのない児童、座っていられない児童が増えた」「怒鳴らないと言うことを聞かない」ということのようですが、それを繰り返せば子どもが萎縮し、創造性の欠如を招き、スケールの小さい子どもになるか、我慢しきれない子どもは、弱いものをいじめたり、教師に暴力をふるったりします。

「怒鳴る」というのは、身体に直接の害を与えるわけではありませんが、メンタルなことでいえば、肉体的な怪我よりももっと大きなダメージを与えることもあります。

大切なのは、何が体罰かということよりも、子どもにどんなダメージを与えたのかという議論だろうと思います。

事件が起こったときにその事件について、体罰か体罰でないかを論じるのではなく、日常的にどんな教育、どんな子育てが行われているのかを、学校も保護者も、双方が検証し、誰のための教育かを見直す必要があるのではないかと感じました。

これを契機に公然と体罰が増えませんように…。

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